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雑感。8月5日。

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フェイスブックをやり始めてから日録(ブログ)が以前のように書けなくなった原因として、
「日録」という言葉に囚われているのが大きいのではないか・・・と、ふと思うことがあり。
(ちなみに日録/ブログは写真学生の頃にホームページを作ってからずっとやってるので、かれこれ25~26年は経ってて。途中に一度思うところあって完全に消去しちゃったので、今のにしてからは16年ですが。昔はもう少しマメに書いてたと思うんですけど。改めて昔のを読んでみると、そこまでマメに書いてるわけでもないか、。)
書きたい時にどんどん書く方式にしてみようかと思います。試しに。

「日録」にこだわっている部分があるのは、写真の本質はやっぱ淡々とした「記録」なので、
淡々と日々の事象を記録していくことは、写真の人としてはやっぱ大事だろう、という感じはするからです。

なお、記録していくべき事象は、日々の出来事に限らず、
もっと大事なのはそこに立ち現れる自分の心や感覚の動きを視て記録することであろうとは思うところ。

*

数日前に改めて眼鏡を作って、右目の近視と乱視を少し補正して特に中~遠景が細かく視えるようになってから、
風景というか、目の前の世界の見え方がちょっと変というか妙にフワフワしてまして。
やたらとなんにでもカメラを向けて写真を撮りたくなってシャッターを切ってます。

なんというか、見え方1つでこう変わるっていうのも、いい加減なもんだなとは改めて思いつつ。
人間はちょっとした切っ掛けで物事の見え方も考え方もコロコロ変わるもの、、とは、過去、浄土真宗を学んでいた時にもとても共感していた点ではあって、
そもそも一番信用できないのは自分自身だとはいつも思っている事ではありますが。
(とはいえ、最も信じているのは自分の感覚でもあって。でもそれは、人間とはそもそも信用に値しないもので、その中で間違ったり当てにならなくても「仕方ないな」と納得できるのは自分の決めた事だから、というような話でもあり。)

そんな風に写真を撮ることにどれほどの意味があるのかな、という気もしないではないのですが。
でも「写真行為」というのはあくまでもセレクトをする部分にこそあって、写真を撮る行為自体は眼が脳に視覚情報を伝えるように機械的にセンサーに情報を送って溜めていくだけの話だから、そこの意味云々はそもそも考えなくてもいいのでは、と思ってみたり。


# by m_sakamaki | 2024-08-05 19:30 | 写真

手帳のその後。

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手帳を紛失した件。
その後、日をあけてもう一度JRに遺失物の問い合わせをしたのですが結局届いておらず。
完全に諦めました。。
最低限必要な、すでに入っている撮影の日程については、ウェブスケジューラーにバックアップしてあったので。
そちらに抜けが無いか、もう一度撮影依頼のメール等と突き合わせてチェックして。
とりあえず、ダブルブッキングの心配はなかろうと。
手帳はもう仕方ないか、と。

紛失した翌日に、とりあえず手帳が無いのは本当に困るのでほぼ日手帳の中身だけ購入してきたんですが。
手帳が出てくる気配がないので、カバーも買わないと駄目か、、、と、
ほぼ日のサイトを見てみるも、自分がずっと使っていたヌメ革の革カバーはもう販売しておらず。
ほぼ日手帳に使えます、っていう他のところが出してるヌメ革カバーはあるんですが、ペン刺しとかブックマーカーとかカードポケットとか、やっぱオリジナルのがよかったんですよね。。。
でも、無いと困るから、とメルカリ見てたら自分が使ってたのと同じ2008年版ヌメ革カバーを4000円弱で出品してる方がいて。
しかも、とても丁寧に使われてたようで、適度なエイジングに傷みも見られず。
即購入を。

一昨日届いて使ってます。(上の写真)

このカバー、2008年から16年ほど使い続けてましたが、(それまではカバーは毎年変えてました。)
カメラバッグの横スペースにギューギュー押し込んだりしてかなり雑に使ってたこともあって、
今回購入したカバーよりもかなり手垢で黒っぽく、手帳の端(下の写真の部分)もだいぶ解れつつあそろそろ修理とかしないと駄目かなぁ、とも思ってたので。
今回こうなったのはよかったのかも。

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# by m_sakamaki | 2024-08-05 14:13 | 日常

老眼鏡をかけて楽団練習に参加してみた。

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昨日は黄山二胡楽団の練習日でした。
次回が撮影が入ってて参加できないので、今日はなんとか行かねば、と。

先日、眼鏡を作り直した切っ掛けで、日常の視える環境を考え直そうと思って。
PC作業とか、書き物とか、いままであんまりよく見えないまま(脳内変換でなんとなく見える)やってたことを、ちゃんと老眼鏡をかけようと思って。(どうしてもハッキリ視ないといけない時は老眼鏡かけてた。文字が小さい場合は虫メガネも。)
見にくい譜面(特に手書き)の場合は特に、老眼鏡をかけて参加してみました。
老眼鏡かけると指揮がぼやけて見づらいので、老眼鏡を下げて手前は老眼鏡で見つつ、指揮はメガネの上から見るパターン。

やってみたら、思いのほか譜面が見やすくて、譜読みが明らかにスムーズ。。。。
むむむ~、、これは結構大事な事だったのかもしれない、と思った次第。
眼からの情報量の違いですかね~。

*

そういえば、昨日・今日と鍋屋横丁のおまつりでした。

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# by m_sakamaki | 2024-08-05 07:03 | 日常

昨日の即興セッションのこと。

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昨日は久しぶりに即興セッションに参加しました。
前回、次に蒲田の即興セッションに参加する時は、コンゴニかマイネルのウッドジンベ(写真左)かで参加しようと思ってたんですけど。
間が空いてしまって、、久しぶりということもあってちゃんと叩けるかなっていう若干の不安もあったもんだから、、結局、一番気持ちに馴染んでて安心感のあるアフリカのジンベ(写真右)で参加することに。

少しだけ鳴り物も持って行ったんですけど。
やっぱやる事は出来る限り絞った方が、集中できるというかで(どういう状況になってもこれでやるしかないと開き直れると言った方が近いかもしれませんけど)
結局太鼓1つでセッションには参加することに。

即興セッションの魅力の1つは、お互いの適度な距離感(寄ったり離れたり含め)っていうのはあると思うのですが、
前よりも少し意識的にその辺関われた気はする。反省点は多いけど。

次はマイネルのウッドジンベ(写真左)で参加しようかと思ってます。
この太鼓は、元々は他の楽器と太鼓で曲を演奏する時にチューニングをしやすいジンベが欲しくて購入したものなんですが、
曲を演奏する時に打楽器で演る場合はカホンで入る事が多くて、そもそもこの太鼓の出番が少ない、、という。
でも、アフリカのナチュラルジンベには無い音の素直さというか、魅力があるので、もっと出番を増やしていきたいというのもありまして。

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# by m_sakamaki | 2024-08-04 08:52 | ジェンベ

おニューの箱馬。

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おニューの箱馬。
箱馬が一個1400円くらいで売ってて、4個までは一まとめに出来て送料880円とのことだったので、買ってみました。
国産ひのき材の箱馬とのことで、ひのきの香りがすごいです。

材が少し反ってるところがあったりして、ちょっとガタツキはあるけど、自分の使い方であれば特に問題にならないかと。
サイズは厚みが15センチではなく14.5センチくらい。

自分で箱馬作るとなると、ホームセンターでカットしてもらうのも数が多くて結構大変なので。
1400円で買えるのはありがたいです。
もうあと4個買ってもいいかも。


# by m_sakamaki | 2024-08-03 10:52 | Works