写真作業と身体感覚。

ガーディアン・ガーデンの20周年記念展内の企画で、
10名の若手写真家がプレゼンをするというのがあって。
それを聞きに行ってきた。
1人持ち時間20分。
内容はどんな内容でもいいとのこと。
プロジェクターで写真を投影しながら、
今までやってきたこと、とこれからやりたい事を話す人もいたし、
20分間、ひたすら映像を流した人もいたし、
美術系ライターさんとの対談形式でやった人も居た。
かなり自由に、自分が今考えている事をつぶやくみたいな雰囲気なのが、
個人的には結構よかった。
自分がこういうところに聞きに来るのは、その人がどういう事を思いながら写真作業をしているのかっていうブツブツした独り言っぽい話を聞きたかったりするわけなので。
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その中で気になった方が何人かあったが。
特に写真の話で共感したのが山崎伸康さん。
最初に、スライドショーで流している写真についての一言感想を聴きに来ていた人全員にマイクを回してのプレゼン。
「写真の身体性」について。
甲野善紀さんに古武道習ったり、ヨガやったりして、
身体感覚について、いろいろ向き合い方(?)の試行錯誤をしているらしい。
この辺りには激しく共感を覚えた。
自分がハンドパーカッションやったり、インプロやってみたり、っていうのもまさに同じ理由で。
自分の内的な衝動を、余計なことを意識せずにいかに汲み上げるか。(これは本当に難しい、、。常に余計な意識が邪魔をする。)
コンセプトはその後で。
出てきたものを客観的に見て、不純物を取り除き、自分を拾い集めて確認していく作業。
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コンセプト有りきの写真は「撮り集める」作業になってしまうのでは、という話もあったが。
それにも同意。
それはそれで1つの方向として、勿論否定しているわけでないけど。
最近のアート市場(?)に向かう写真が、「コンセプト」云々を特に言われることもあって、
自分も、それだけじゃ写真がつまらなくなるだろう(というか詰まらないと感じている)と思っている人間で。
だから個人的にはそういう世界とは、積極的には関わらないことにしようと思ってたりするわけですが。(もっともこれはコンセプト有りきを押し付けられる事に対しての反発。出てきたものに対してそれをきちんとまとめる作業はとても大事だと思ってます。念のため。)
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写真の身体性というのは、自分には非常に大きな事柄で。
カメラという装置で機械的に切り取る作業というのは、
「あっ」と思った瞬間に見ていた世界が切り取れることが自分の理想。
そのために必要なのは、一番が心の動きをきちんと感じ取って汲み上げられる感覚。
あとは技術的なことになるけど、自分が見ている視角とレンズの画角が一致していること。(撮りたいと思った瞬間にその場でファインダーを覗いて今見ていた世界と一致していること)
その瞬間にきちんとピントを合わせシャッターを切れること。
要は構えた瞬間のレンズと肉体の目が同じものを見ていること。
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写真のオリジナリティーとは何か、ということについて。
写真の最も写真たるところは、人間の認識していない一瞬の時間と空間を可視化することだ、と思う。(自分の作りたいイメージをカメラという絵筆で写真に組み上げることではない。でも仕事写真はまた別。)
その可視化される時間と空間は、結構その人の衝動というか、内的な何かと深く結びついていると感じていて。
ただし、それには、構図やら光やらっていうそういう技術的な事柄を取り払って、ニュートラルに目の前の世界に写真を通して関わるという前提あり。
そうやって写ってきた写真にこそ、写真にしか出来ない、その人のオリジナリティーというのは立ち現れてくるものではないかと、自分は思っている。
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うーん、この辺のことは言葉で説明しようとすると、なんだか言葉がこんがらがって来てしまう。
言葉の選び方も間違ってそうでなかなか難しい。
けど、自分の思うことを言葉にしてみるっていうのはすごく大事なので。
by m_sakamaki | 2010-11-11 01:31 | 写真

